“お返し”から解放されてもいいのかもしれない/『世界は贈与でできている』

大学時代、借りていた部屋のすぐ近くに大家さんが住んでいた。わたしの祖母より少し若いご夫婦(お父さんとお母さん)と、わたしの母より少し若い娘さん(お姉さん)のご家族だった。

 

大家さんご家族は、入居日から退去日まで、とにかくわたしに良くしてくださった。なんなら退去して数年経った今もそうだ。

 

どうしてこんなに良くしてもらえるのか、わたしにはさっぱり分からなかった。良くしてもらった分をどうお返ししていいかも分からなかった。

 

でも、引っ掛かっていたそのモヤモヤが、この本で解けた。 

 

 

親のような大家さん

大家さんご家族は、「親切すぎる」というのがぴったりなくらい親切だった。

 

しょっちゅう自宅に招いてご飯(めちゃくちゃ美味しい)を振る舞ってくれたり、美味しいお米や果物(たとえば魚沼産コシヒカリ佐藤錦)を分けてくださったり。近所の夏祭りがあるからおいでと呼ばれて行ったら、大人気のサンマの塩焼きを奢ってくれた。

 

就活で忙しいと言ったら、鍋いっぱいのミネストローネを玄関の前に置いていてくれたこともある。誕生日には、毎年プレゼントも頂いた。ちなみに、借りていた部屋を出てからも、毎年誕生日付近になるとご飯に招いてくださり、会えない時はプレゼントを郵送してくれる。

 

まるで自分の娘や妹かのように、わたしのことを気に掛けて世話を焼いてくれる。それが大家さんご家族だった。食事やプレゼントそのものより、「ここまで気に掛けてくれる人が近くにいる」という事実が、わたしにとっては何よりもうれしく、実家を離れて生活する上で心強かった。

 

「あなたが住んでくれてうれしいのよ」

お母さんはいつもそう言ってくれた。お父さんとお姉さんは、「わたしたちも楽しんでるから気にしないで」と笑ってくれた。

 

わたしはただ、賃貸契約をして部屋を借りていただけだ。「うれしい」と言ってもらえることはうれしいものの、どうして「うれしい」と言ってもらえるのか、正直理解できなかった。

 

理由はわからないけれど、とにかく良くしてくださっているのは間違いない。「いつもすみません、ありがとうございます」と言いながら、何か少しでもお返しをしなければ、といつも思っていた。帰省したときには、地元の美味しいお菓子を探し回ってお土産にした。母の日や父の日、バレンタインデーには必ずプレゼントを渡した。

 

けれど、「こんな物では埋められないくらいの恩がある」という意識は消えることはなく、それだけが苦しかった。ありがとうございますと言いながら、ありがた迷惑なんだよなあとも思いはじめ、そんな自分が嫌で仕方がなかった。

 

受け取るだけでもきっと充分なのだ

大家さんの近くを離れてからは、こんなことを日々考えるわけではなくなったものの、ずっとしこりにはなっていた。『世界は贈与でできている』は、そのしこりに思いっきり当たってきた本だった。

 

もし、こちらにお返しをする心づもりが無かったり、返礼をする用意や準備ができていなかったり、あるいは返礼が原理的に不可能な場合、僕らはどうなるのでしょうか。

善意や好意を押しつけられると、僕らは呪いにかかる。

 

まさにこれじゃん……という気持ちでいっぱいだった。

呪いにかかってしまっとるやん……どうすればいいんじゃ……となりながら読み進めていたら、答えらしき文章に辿り着いた。

 

贈与はそれが贈与であるならば、宛先から逆向きに、差出人自身にも与えられる。

宛先を持つという僥倖。宛先を持つことのできた偶然性。

贈与の受取人は、その存在自体が贈与の差出人に生命力を与える。

 

「プレゼントをくれる相手がいることより、あげる相手がいるほうがうれしい」とか、「誰かが困っている時に頼ってくれるとうれしい」とか、そういう身近な感覚にもこの文章はあてはまる。

 

つまり、贈与としての善意ならば、それを受け取ることそのものが、善意の贈り手にとっては返礼に近いものなのだ。(仮に贈与でない善意があるならば、それは等価交換を求める「偽善」だとも指摘されていた。)

 

これを踏まえると、「あなたが住んでくれてうれしいのよ」というお母さんの言葉も腑に落ちる。「わたし」という贈与の宛先ができたことで、お母さんは喜んでいたのだ。自分でこんなことを言うのもどうかと思うが、確かにお母さんの言動を思い返すと、この説明はかなり納得がいく。

 

ということは。

 

もう「お返しができてない」なんて悩まなくてもいいのではないか。

贈られるものをありがたく受け取り続けた、それで十分なのではないか。

 

都合のいい解釈かもしれないが、とりあえずそんな風に思えてきた。

楽に生きていこう。